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2014年07月06日

羅漢寺だったかな?「しゃもじ」がいっぱいあったのって?

青の洞門の近くに羅漢寺って言うところがあるんだあるんだ。

645年頃インドから渡ってきた法道仙人が、この地に霊気を感じ観音像を祀ったのが始まりなんだって。

室町時代の始め、豊後田渋(たしぶ)郷の円龕照覚(えんがんしょうかく)禅師(栄西の法孫)が入山、

十六羅漢の像を描き、これをきゅう中にあげたことから羅漢寺と呼ばれるようになったんだって。

この時、残した中国僧逆流建順(げきりゅうけんじゅん)より千体地蔵・五百羅漢などがつくられ今の寺の基礎が整ったんだ。

さらに室町時代3代将軍義満の帰依を受け、管領(かんれい)細川頼之(よりゆき)からは諸堂伽藍(がらん)の寄進を受けたって言われてるだ。

ここじゃなかったこのしゃもじがいっぱい並んでたのって?  


Posted by なかちゃん at 13:12Comments(0)大分散策

2014年07月04日

宇佐八幡宮は全国八幡宮の総本社である。


宇佐氏系の到津(いとうず)が平安中期以来この職にある。

大鳥居から下宮までに200メーターほどの表参道の左手は、

霊水の湧くひし形池、絵馬殿、能舞台・神馬舎、右手は宝物殿・神宮庁・弥勒寺(みろくじ)跡となっている。

弥勒寺は738年に神宮寺として境内に建設され、彦山で修行した宇治氏一族の「ふそう法蓮」を別当とした。

神仏習合の最も早い例である。

平安中期から鎌倉期にかけての期間が全盛期で、石清水(いわしみず)八幡を本所とする荘園領主として、

豊後・豊前を中心に104カ所もの荘園を支配した。

この八幡宮の大鳥居は国道10号沿いにでっかくそびえ立っているんだ。

結構びっくりするよ  


Posted by なかちゃん at 14:14Comments(0)大分散策

2013年07月02日

昔から別府は特別扱い。


江戸時代の別府って天領と藩領に分割されながら平和な農漁村として歩みを続けていた。

温泉に関する記録は1694年に「豊国紀行」に詳しいが、

1783年に当地を訪れた古川古松軒の「西遊雑記」からも、別府八湯の状況を知ることができる。

1810年に伊能忠敬は測量した跡が流川4丁目にあるが、別府が温泉場としてにぎやかになるのはこの頃からである。

明治になってまず海の玄関口波止場が改築された。

1871年に完成した港は日田県令松方正義の提案によるもので、

北浜の波止場神社境内に記念碑が立っている。

って考えると江戸時代というよりも明治時代がメジャーになった温泉地区なんだね。  


Posted by なかちゃん at 16:15Comments(0)大分散策

2013年06月23日

おじいちゃんちのすぐそばの「青の洞門」

1970年に発掘された洞くつなんだ。

50メーター離れた屋形川の流れによる浸食洞窟で、

間口1メートル・奥行き9メートル・開口部の高さ6メートルほどのほぼ円形をして、

内部にはいくつもの固く焼きしめられた縄文時代の灰層が積もって、

それぞれの層から時代を異にする人骨が見つかったこと、

各層ごとに生活跡と埋葬が明らかにされたことにより、

縄文時代の生活と文化を年代ごとに研究する上で大変な資料になっているんだ。

ここっておじいちゃんちのすぐそばなんだよねちっちゃいころ連れて行ってもらった記憶があるんだ。

でも九州には生まれて何回かしか行ったことないからあんまり覚えてない。  


Posted by なかちゃん at 19:52Comments(0)はじめまして